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citrussinのチラシの裏

ゲームや読書感想、日々のことを適当につづる日記。TwitterID @sinensis197

ブログを書いてて思うこと2

こないだの雑記に引き続くが、こういうブログを書いていると思うのは、言葉の限界ってものすごく壁になるってことだ。
www.citrussin.com
メンタリストっておすすめの海外ドラマがあるわけだが、私huluで見てるんですけどね。
シーズン1の1話、つまり最初の話でカウンセラーが主人公に聞くんですよ。
「さっきのトラウマの話、つくり話ですよね。でもあなたは非常に苦しんでいる。なぜ話してくれないんですか」
この問に対して、主人公はこう応えるわけですよ。
「だってこれは僕のものだから」
(まぁ、アレは犯人を追い詰める意味合いもあったわけだが)

ということで、今日も今日とて益体もない話を始めましょう。



物語が大好きな人間とし、本読みとして、ヲタとして。
誰もがその道に入る原因になった何かしらを持っているかとは思う。
狂ったように読書を、ノベルゲームを、ドラマをアニメを映画を朗読を与太話を聞くようになった原因があると思う。
思春期の心に大きな爪痕をつけて立ち去ったバイブルがあるはずなのだ。ついでにそれは一つとは限らない。
私はおすすめ作品を紹介するブログを立ち上げるにいたり、当然そのバイブルのいくつかを最初に紹介予定であった。
これこそはという小説なり、コミックなり、ゲームなりだ。
しかしできなかった。
いや、今にして思えばどうして書けるなんて考えてしまったのだろう。
ほんとうに不思議でならない。

そう最初は軽い気持ちでおすすめするタイトルから書き始めるわけだ。
で、「君が望む まで書き始めて手を止める。
手を止めざるを得なかった。
速瀬水月ルートEND。画面の前で涙と嗚咽を漏らしながら頭を垂れ許しを請うたあの衝撃をいかに伝えることができようか。
振り返ってしまった先ほどのルートを鑑みて、振り返らずに病室から出る選択肢を選ぼうとした瞬間。あのボタンの重さたるや、どんな言葉を使っても表現などできない。
心を撃ちぬかれたあの一言「それでも私がしたのは・・・、鳴海さんを好きになっただけじゃないですか!」。あのシーン、あの言葉。私の感じた某かは誰にも伝えることなどできないのだ。
そして、マブラヴオルタネイティヴハイブ攻略間際、緑色の看護婦がこっちに来た瞬間。
本を読まない人に信じてもらえないだろうが、小説というのはいともたやすく忘れがたいトラウマを作れる。
それらは私だけの感動だ。
どうして語れるであろうあの衝撃。
バスチャンの増長の裏で起こる絶望と、最後にアトレーユが来て友達ですと言ってくれた時の何とも言えない頼もしさを。
チセの姿を見た時の修ちゃんの絶望と喪失感を。
十角館で起こった殺人の結末、あの一文がどれだけ心に氷水を浴びせたか。
それは海洋都市LeMUの中だったり、毎日を繰り返す無人の街で学校の屋上に立ったラジオ放送用アンテナだったり、惑星メーテルでの真実だったり。
どうやっても伝えられない言葉がある。取り返しがつかない経験がある。
言葉にならない物を受け取った思い出があるのだ。

言葉に出来ない言葉があって、うだうだ考え続けても言葉にならない。
至極当然のことだが、心のなかを保存しておいて「どうぞご覧くだせえ」と見せれるならばなんとありがたいことだろう。
むしろ他人に見せられなくていいので今の自分に見せて欲しいぐらいだ。あの時の感動を絶望を期待をもう一度味わいたい。
言語化できないのは仕方ないとしても、せめて神様も共感の手段ぐらいは用意しておいていただきたいものである。
他人だけではない。過去の自分も未来の自分も共有してくれないのだ。本当にその文章を読んだその時の私だけのものだった。
残されたはずの傷は、傷があったことがわかる痣がすでにあるだけで当時の痛みも何もかもがそこにはない。
なんども受け取った何かが何だったのかを思い出そうとするが、どうしても思い出せない。
こんなに悲しいことはない。

なのでブログでおすすめ紹介する際に気をつけることは、納得行くまで書こうとしないことだ。
そして納得行くまで書かなければ自分が許せないことは本格的に紹介しないことだ。
問題ない。あとは読んでくださいと書けばいい。そうしなければ本当にどうしようもない。
何十回書きなおそうと、そこにあの時の感動を再現はできないのだから。
もし書いたとしても、自分以外にはわかりはしないものすごく読みにくい記事になるだろうし。

「だってこれは僕のものだから」
そのとおり。
これは僕だけのものなのだ。どれだけ望んでも他人に見せることはできない。
見せたところで理解してもらうなんてできないだろう。そこには彼らの主観が入る。
言葉の限界は非常に高い。
でも共感できなかろうと、それがたとえ別の感情だとしても、「これすごく良かったです!」と言ってもらえればいいのではないだろうか。
少なくとも、ここが面白かったの一言に、「ちげぇよ、そこの解釈はそうじゃないよ」って思うより、「面白かったでしょ、その本。楽しんでくれたならなにより」と思ったほうが遥かに建設的だ。
本当に言葉は無力である。
人は孤独であるし、誰かに共感を求めるのはやめたほうがいい。
でも、他人の嬉しそうな顔と、自分の好きなモノを好きになってもらえた時の感動は、なかなか素晴らしいものだ。
だから、それでいいのだと思います まる