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citrussinのチラシの裏

ゲームや読書感想、日々のことを適当につづる日記。TwitterID @sinensis197

ムダってなーに?

たまに無駄なものはすべて捨てようとか、断捨離とか、ミニマルとか、履き違えている人がいるような気がしてならない。
捨てなくてはいけないとか、必要なもの以外必要でないものとか、シンプルが一番いいとかとかとか。意味を取り違えているように思う。
さて今日も今日とて益体も無い話を始めよう。



ミニマルという言葉がある。
ミニマルデザインというデザインフィロソフィーを知っているだろうか。
Appleのデザイン哲学である。
極力無駄なものを省きシンプルな作りにすることで、使用者に迷いを与えず、わかりやすく堅牢なデザインを作るというというものである。
もしくは断捨離でもいい。
生活に不要な物を極力持たないようにして、生活生活に調和をもたらそうとする哲学だ。
なんぞミニマリストという言葉までできた。
その精神は日常生活、人間関係までに及ぶらしい。
それにちと疑問を感じるのだ。

この必要なもの以外すべてを省くというのはまぁ、間違いではないと思う。
何が必要かを知っているならばの話だが。
人は選択をするたびにストレスを起こす。
取捨選択したものが正解かを気にし、今後起こる未来を予測し、いつしかオーバーフローする。
多くの物を選べるということはあまりにも不自由だ。
そこには選ばなかったものを捨てた未来を意識せざるを得ない。
とか、こんなことをいちいち気にするから鬱になんてなるのだろうか。
実際問題思い悩む人ほど選ばなかった未来を気にする。
私なんて人に言った一言一言がどう思われたかを想定してしまう。
そのあとに選ぶ言葉の選択肢が多くなり、考えることが多くなると頭がパンクしてしまう。
ここら辺は人間の性分のような気がしないでもない。
ソフトウェアにしたってそうだ。
ソフトウェアの肥大化は問題になれど機能を増やすことを止められない。
Creeping Unix featurismとはよく言ったものだなと思う。
忍び寄ってくるこの性に太刀打ちするのに、いらないものは何かということから思考を始めるのも悪くないのかもしれない。

とはいえ。。。。。
無駄な物とはなんだろうか。
それは本当に無駄な物かどうかどうやって決めているのだろうか。
「ああ、こいつ片づけられない奴だな」
と思われた方。正解である。
無駄な物という言葉は非常に疑問を感じる。
というのも無駄かどうかとは人が判断できるものではないのではないかと思っているからだ。
どこぞの偉い僧侶が弟子に言ったそうだ。
「さて、無駄とは何か。
あなたは10分立っていられるだろうか。
若いのだからそれぐらいできるだろう。
それならば、そこから無駄な床を省いたらどうなるだろう。
必要のないものをすべて無駄だというならば、想像してみるといい。
あなたが立っている床の足元以外の部分が突如消え去ったらどうなるだろう。
立つには何の問題もなく、無駄なものを排除したといえる。
巨大な二本の柱の上に片方づつ足を置いて立つわけだ。
しかし、大抵は立っていられなくなる。足は震え、力が入り、じっとしていられなくなって体が震えるはずだ。
君の心の中が必要だと思っているものはなくなって初めてそれがわかるものばかりだ

なくなってからしかわからんとは何とも意地悪なものだ。
どうも無駄とは何かが分からん。
ミニマルデザインはわかる。
”実際なくしてみて、必要なら付け足す”ができる。デザイン案だからな。
そこに行きつくまでに非常に頭を使うことを承知している。
しかし、一般的に推奨されたミニマリストとやらはそこまで考えたうえで捨てているのだろうか。
取り戻せないものを捨ててはいないだろうか。
特に人間の関係性を断捨離するということは、ためらった方がいいのではないだろうか。
なくしてから気づくぐらいなら、気づかん方がましな気がする。
チルチルは家の中に青い鳥を飼っていた。
もし青い鳥を探しに行かなければ、そのまま家に居ついていたかもしれん。
もう少し捨てるということに慎重になりたいなーと言い訳する今日この頃。