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citrussinのチラシの裏

ゲームや読書感想、日々のことを適当につづる日記。TwitterID @sinensis197

寄る辺について

徒然なるままに、日くらし硯にむかいて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

狂おしいのはわかるがあやしいかね?
でもこうして長々雑文を書き散らしているとわからんでもないな、陶酔してくる感じがある。
今日も今日とて益体も無い話を始めよう。ポエムと呼んでもいいかもしれん。



自分が自分でない。またはなぜ自分が自分なのか。
抽象的に言うとそういうことが不安になるときがある。
子供のころ、夢から覚めた瞬間、そして仕事等で自分の自信を喪失したとき。
そんな瞬間”よりどころ”ってやつを無くした心というものは非常につらい思いをする。
自信がなく、立ち寄るすべも場所もなく、立脚しようにも地面がないわけで。
あの辛さったらひどいものだ。
感覚的なことなので、どうしようもない。その時はじっと耐えるしかないのである。
何の話かって、あれだよ。なんの損得も読者にもたらさない与太話だ。


さて話は変わらないのだが、私のPCは自作ではない。
BTOパソコンを6年前に買ったのだ。
しかしそれでは昨今のPCゲームはできない。
5年前に5インチベイBDレコーダを交換し、4年前にHDDをSSDに換装。追加のHDDも4TBのを買って取っつけた。
3年前にスプリンターセルブラックリストを最高画質で動かすためにグラボとメモリを交換増設し、電源も交換した。当然電源交換に伴い内部のケーブルも交換することになる。
そして去年とうとう処理の遅さに耐えきれずマザボ、CPUを交換した。マザボとCPUを交換したついでにファンも新しいのに取り替えた。
今年つい先月に再度SSDを256GBに付け替え、12月までには3.5インチベイの中身を入れ替える予定だ。
今はオーバーウォッチが最高画質設定で70FPSでる。
「なんだ、自作なんてしなくてもBTOパソコンでも十分最新ゲームについていけるじゃないか」
そう思っている毎日である。
しかし、私は自作PCなどしていないと思っているが、友人からそれはすでに自作PCだろうと言われた。
言われてみれば、気が付いたらBTOの名残は外枠の箱だけだ。
まぁ、テセウスのパラドックスってやつだろうか。
テセウスさんがクレタ島から帰ってきたときの船がアテネに保存されていた。長年壊れたところを補修し続け元の木材は残っていない。それでもテセウス製だろうか。
ジョン・ロックさんの靴下はお気に入りの靴下は長年補修し続けてつぎはぎだらけ、もともとの布は既に残っていない。それでもお気に入りといっていいのだろうか。
さもあらん。同一性というのは難しいものだ。
物体でさえこれなのだ、自己同一性など簡単に揺らいでしまうものである。


考えてみれば同一性というのは地に立って根ざす源、つまり物事の根源でもある。
どこぞの少佐も言っているだろう?
「ありがたいことに私の狂気は君達の神が保証してくれるというわけだ」
それが保障されていないというのはとても不安なものであろう。
「君らの神の正気は一体どこの誰が保障してくれるのだね?」
保証するそれは魂ってのであったり、意識であったり、他人であったりするわけだが、なんだかふわふわしているな。
仏性は人間の身にのみ宿るか万物に宿るか問題であったりといったものはどうやっても他者性を含む。
つまり観測者と主体の問題に帰結する。
まぁ、とにかくだ。ともすると、本人かどうかなどどうでもいいのではないだろうか。
誰かに認識されないと自分をいたわれないものなどどうにでもなるのではないだろうか。
常に観測者を私に置けば、それでいいのかもしれん。
われ思うゆえにわれありなどと気取るつもりはないが、たとえば小説の1Pを読む間に主人公になっていたとしてもそれは私本人なのだ。
胡蝶の夢の中でも私は私、蝶だろうが人間だろうが些末な問題なのだと思ってみよう。
どこにも思い悩む必要などない。
我あるのだから我ありと言ってしまえると楽なのだろう。
さりとて、それが正しいと思えるほど自分というものに絶対の自信が置けない。
よく物の本に言うではないか
「自分は一番大切な他人である」
いやいや、金言ここに極まれり。
一番大切らしい他人が信用できないのだから、よりどころも何もあったものではない。
もう少し自分をいたわろうかと思う昨今。

(大丈夫だろうか、本当に取り留めもなく話しているが万が一この記事を見た人にドン引きされないだろうか。。。)